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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)5956号 判決 1985年4月10日

原告(反訴被告) 和田守正

右訴訟代理人弁護士 曽我乙彦

同 金坂喜好

同 影田清晴

同 佛性徳重

同 清水武之助

被告(反訴原告) 高橋美幸

右訴訟代理人弁護士 菅充行

主文

一  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し、別紙目録記載の各不動産について大阪法務局豊中出張所昭和五四年九月一九日受付第二七八二三号根抵当権設定登記及び同局同所同年同日受付第二七八二四号停止条件付賃借権仮登記の各抹消登記手続をせよ。

二  被告(反訴原告)から原告(反訴被告)に対する大阪法務局所属公証人鈴木芳一作成昭和五五年第二二三号金銭消費貸借並に不動産信託譲渡担保契約公正証書に基づく強制執行はこれを許さない。

三  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し金一七五万円及びこれに対する昭和五四年一〇月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告(反訴原告)のその余の反訴請求を棄却する。

五  訴訟費用は、本訴について生じた部分は被告(反訴原告)の負担とし、反訴について生じた部分はこれを三分し、その一を原告(反訴被告)、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

1 主文一、二項同旨

2 訴訟費用は被告(反訴原告、以下被告という)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告(反訴被告、以下原告という)の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴)

一  請求の趣旨

1 原告は被告に対し、金五三五万円及びこれに対する昭和五四年一〇月四日から完済まで日歩八銭の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴)

一  請求原因

1 原告は、別紙目録記載の不動産(以下、本件土地という)を所有している。

2 被告は、本件土地につき主文一項記載の登記(以下、本件登記という)を経由している。

3 原被告間には主文二項記載の公正証書(以下、本件公正証書という)が存在し、右公正証書には、

(一) 天満椎茸株式会社(以下、天満椎茸という)が被告から金五三五万円を弁済期日昭和五四年一〇月三日、利息日歩四銭、損害金日歩八銭の約定で借受け、

(二) 原告は天満椎茸の被告に対する債務を保証し、天満椎茸及び原告が右債務の履行を怠ったときは、直ちに強制執行を受けることを認諾する、

旨の記載がある。

4 しかしながら、原告は本件登記を承諾したことも登記の原因となる契約を締結したこともないし、本件公正証書記載の連帯保証契約を締結したことも執行認諾の意思表示をしたこともない。

よって、原告は被告に対し、本件土地所有権に基づく本件登記の抹消登記手続及び本件公正証書の執行力の排除を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の事実は認める。

三  抗弁

1 被告はかつて三福実業の商号で金融業を営んでいたものであるが、昭和五四年九月五日天満椎茸に対し金五三五万円を、

弁済期日 昭和五四年一〇月三日

利息 日歩四銭

損害金 日歩八銭

とする約定で貸付けた(以下、本件貸付という)。

2 天満椎茸代表者竹口一成は右同日、原告の代理人として被告に対し、天満椎茸の被告に対する右借受金債務を連帯保証する旨を約し、又、被告が適宜指定する者を代理人として右約定に関し強制執行認諾約款付の公正証書を作成することに合意した。

更に本件土地につき本件登記の原因となっている抵当権設定及び停止条件付賃貸借契約を締結した。

3 原告は右同日頃、右竹口一成に対し右各行為をなす代理権を与えた。

4 被告は前記各契約に基づき、栗山和雄を原告の代理人として本件公正証書を作成し、本件登記を経由した。

5 (表見代理民法一〇九条)

(一) 原告が天満椎茸の代表者であった竹口一成に対し、本件貸付についての連帯保証契約の締結及び本件公正証書の作成、ならびに本件抵当権設定契約及び停止条件付賃貸借契約を締結する各権限を授与していなかったとしても、原告の自認するところによれば、原告は右竹口に対して昭和五三年一二月頃大阪市北区天満四丁目一一番の三所在の宅地(以下、天満の土地という)について、株式会社明商(以下、明商という)との間で担保権設定契約をなす代理権を授与して、乙第二号証及び乙第五号証に署名捺印し、印鑑証明書をも交付したというのである。乙第二号証が公正証書作成のための委任状であることは、たとえ白地のままであったとしても不動文字の記載自体から容易に看取し得るところであり、乙第五号証が不動産登記のための委任状であることも不動文字の記載自体から容易に看取し得るところである。

従って、原告は竹口に対して前記保証契約、公正証書作成、抵当権設定契約、停止条件付賃貸借契約を締結する代理権を授与した旨を表示したものである。

(二) そして、竹口は原告の代理人として、前記2のとおり被告との間で前記各契約を締結し、本件公正証書作成の合意をしたものであるから、原告は民法一〇九条により前記各契約上の責任を免れず、本件登記及び公正証書はいずれも有効である。

6 (表見代理民法一一〇条)

(一) 前記5の(一)の事情からすれば、原告は竹口に対して、明商との間で天満椎茸の明商に対する債務を担保するため本件土地に対して担保権を設定し、原告が右債務を連帯保証し、かつこれらの内容にもとづく公正証書の作成をなす代理権を授与したものといわなければならない。

(二) 竹口は右代理権の範囲を越えて、被告との間で本件貸付についての前記各契約を締結し、本件公正証書の作成に合意したものである。

(三) そして、竹口の右代理権限の踰越の程度は、契約の相手方が異なること、及び担保提供する土地が同じ原告の所有にかかるものではあるが別個の土地であったこと、金額にして明商に対する極度額が金八〇〇〇万円であるところ、被告の極度額は金八〇〇万円で僅か一割の加重に過ぎず、原告が意図したところに比して特に過重な負担を来すものではない。かかる事実に加えて、原告が自筆の乙第二号証及び乙第五号証を竹口に交付していたこと、又、三ケ月ごとに新しい印鑑証明書を竹口に対して交付していたこと等を併せ考えれば、原告において、竹口に前記(二)の各行為をなす代理権限があると信ずるにつき正当な理由があるというべきである。

従って、原告は民法一一〇条により前記各契約上の責任を免れず、本件登記及び公正証書はいずれも有効である。

(四) なお、仮に原告が竹口に代理権を授与したものではなく、竹口が原告の使者であったとしても、使者についても表見代理規定の類推適用が可能であり、原告は責任を免れない。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1の事実は不知。

2 同2及び3の事実は否認する。

3 同4の事実は認める。

4 同5の(一)の事実のうち、原告が竹口に対し同項記載の土地を明商に担保提供することを承諾し、乙第二、第五号証に署各捺印し、印鑑証明も交付したことは認め、その余は否認する。原告は竹口から示された書類の意味内容を理解できないまま、印刷活字のみの書類に明商への提出書類と誤信して署名捺印したものである。

5 抗弁5の(二)の事実は否認する。竹口は被告との間で何ら法律行為を行っていない。乙第二、第五号証についても、原告名下の署名押印部分を除いた他の部分は全て被告が恣に記入したものであり、竹口の記載にかかるものは一切見当たらない。また、本件では被告の主張する連帯保証契約、根抵当権設定契約、停止条件付賃貸借契約の各契約書は一切存在せず(通常、金融業者はこれらの書類も白紙のまま徴しているものであるが、本件では、この書証が存在しないことは重要である)、被告本人の尋問結果から口頭の契約関係が主張されているにすぎない。

むしろ、本件は竹口が明商への交付を理由に原告を欺罔して同人から交付を受けた乙第二、第三、第五号証等の書類を何らかの事情で被告に渡していたため、被告が天満椎茸の倒産を知るや、急拠右書類を悪用すべく原告に無断で所定事項に被告自ら恣に記入し、これを利用して本件登記及び公正証書作成を行ったものに他ならず、結局、竹口が原告の代理人として法律行為を行った事実は全くない。

6 抗弁6の(一)の事実は否認する。原告は竹口に被告主張の代理権を授与したことはない。原告は明商への担保提供を承諾したが、その際竹口に対し担保設定に必要な登記書類に署名捺印しており、その時点で担保設定契約は成立しているから、それ以外に竹口に対し右の件について別途代理権を授与する必要性は存しなかったものである。即ち、竹口は原告の了解した右担保の内容を明商に伝達すれば足り、原告はその点のみ竹口に託したにすぎず、同人を使者として登記に必要な書類の明商への交付を託したものである。

7 抗弁6の(二)の事実は否認する。前記5のとおり、竹口は被告との間で何ら法律行為を行っていない。

8 抗弁6の(三)及び(四)の事実は否認する。

五  再抗弁

竹口が被告との間で被告主張の代理行為を行ったとしても、被告は竹口に代理権ありと信ずるについて悪意又は過失があったというべきであるから表見代理は成立しない。

即ち、竹口は担保設定に必要な登記済証も所持しておらず、乙第二、第五号証についても原告の署名捺印のみで内容は白紙であるところ、被告は原告に対する意思確認をしていない。また、右乙第二、第五号証の白紙委任状は、当該交付の相手方は明商であり、その法律行為の内容等も限定して解釈すべきであって、これが転々して被告により利用されて法律行為が行われても、原告が責任を負うべき理由はない。

六  再抗弁に対する認否

否認する、被告はその従業員であった速見繁に原告への意思確認を行わせている。

(反訴)

一  請求原因

1 (主位的請求)

本訴抗弁1ないし3、5、6のとおり。

よって、被告は原告に対し、連帯保証債務の履行として本件貸付金及び弁済期日以降の損害金の支払を求める。

2 (予備的請求不法行為)

(一) 原告は、白地部分を補充することなく公正証書作成嘱託用の委任状及び不動産登記委任状に各自署して実印を押捺し、印鑑証明書と共にこれらを竹口に交付し、その後も三か月ごとに新しい印鑑証明書を同人に対して交付した。同人はこれらを濫用して自己が前記連帯保証契約ならびに物上保証契約をなす代理権を有しているかの如くに被告を欺いて前記のとおり本件貸付をなさしめ、被告に同額の損害を与えた。

(二) 原告は、前記のような白地の委任状及び印鑑証明書を交付すれば、これが濫用されることにより被告の受けたような被害が発生するおそれがあることを容易に察知し得たにもかかわらず、漫然と前記各委任状の白地部分を補充することもないままにこれらに署名捺印して竹口に交付し、更にその後も三か月ごとに新しい印鑑証明書の交付を続けていながら、一度も前記各委任状や印鑑証明書の使途等について調査確認をしなかったのである。印鑑証明書は、これが悪用されると他人に不測の損害を与えることから、市町村の印鑑証明事務についても、担当職員に注意義務違反があれば不法行為ないし国家賠償法上の責任を負うべきことは一般に承認されている。従って、本件において原告に過失が存することは明らかであり、被告に対する不法行為に基づく損害賠償責任は免れない。

よって、被告は原告に対し、前記損害金及び損害発生の後からの遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実については、本訴抗弁に対する認否1、2、4ないし8のとおり。

2 請求原因2の事実のうち、原告が被告主張の書類を竹口に交付したことは認めるが、その余は否認する。

原告は竹口に欺かれて、明商に対する書類として必要だからと言うことで乙第二、第五号証等の書類を交付したものである。仮に、右書類を竹口が悪用したとしても、被害者である原告の右行為についていかなる意味で違法性が存するのか被告の主張はきわめて不可解であり、竹口に不法行為が存したとしても、原告は何ら不法行為を行なっていないのである。被告の主張のように、白紙委任状及び印鑑証明書を竹口に交付すればこれが竹口に濫用されることにより被告のような被害が発生するおそれがあることを容易に察知しえたなら、原告は竹口に書類を交付しなかったはずであるところ、原告は被告の存在さえも全く知らなかったものである。

通常、右書類を交付する側ではなく、被告とは何ら面識も関係もない原告名義の書類を受け取りこれを利用する被告側においてこそ、右入手の経過や原告の意思を確認して安全な取引をすべきものであって、被告の主張は全くのこじつけにすぎない。

三  抗弁

1 本訴再抗弁のとおり。

2 被告は竹口の前記違法行為について故意又は重過失があるから、原告は不法行為責任を負わない。

四  抗弁に対する認否

いずれも否認する。

第三証拠《省略》

理由

第一本訴について

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁及び再抗弁(竹口の代理行為及び代理権)について考察する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められる。

(一) 原告は、天満椎茸(椎茸等の販売を目的とする株式会社、代表取締役竹口一成)に対し原告所有の天満の土地を貸していたところ、昭和五一年六月頃、竹口から天満椎茸の事業拡大の資金借入のため天満の土地を担保提供してくれと頼まれ、これを承諾し、天満の土地に天満椎茸を債務者とする福徳相互銀行に対する五〇〇〇万円の根抵当権を設定したこと、次いで同五三年一一月頃、竹口から同様な依頼を受け、同土地に天満椎茸を債務者とする中小企業金融公庫に対する三〇〇〇万円の抵当権を設定したこと、右各設定登記手続は、竹口が原告方に書類を持参し簡単な説明をしたうえ、これに原告が署名等を行ったこと、

(二) 昭和五三年一一月頃、竹口から原告に対し明商(東京都中央区京橋二丁目四番一七号)との椎茸の商取引について天満の土地を担保提供してほしいと依頼があり、原告はこれを承諾し(明商への担保提供を原告が承諾したことは当事者間に争いがない)、同年一二月二〇日付で明商を根抵当権者、天満椎茸を債務者、原告を設定者、極度額八〇〇〇万円、被担保債権は売買取引、手形債権、小切手債権とする根抵当権設定契約が締結され、同月二七日付で設定登記がなされたこと、右の手続について竹口は原告に対し、右商取引及び担保提供に必要な書類という説明で複数の書類を原告方に持参して示し、原告はその内容を深く検討することなくこれに署名捺印をして竹口に交付したこと、原告が署名捺印した右書類の中に、金銭消費貸借公正証書作成委任状(甲第八号証、具体的内容は白地。後に被告側でこれに白地を補充したものが乙第二号証)、内容白地の委任状(後に被告側でこれに白地を補充したものが乙第五号証)があったこと、その後も竹口は右手続に必要という説明で昭和五四年八月頃までの間数回にわたり原告から印鑑証明書を受取っていたこと(甲第八号証、乙第五号証に原告が署名捺印し、印鑑証明書を交付したことは当事者間に争いがない)

(三) 被告は三福実業の名称で金融業を営んでいたところ、昭和五三年三月頃から天満椎茸に金を貸すようになったこと、右当初の貸付は金額二五〇〇万円で、本件土地、天満の土地及び地上の天満椎茸の建物その他を担保するということで、被告事務所に申込みに来た天満椎茸担当者に被告が不動産担保の設定登記や公正証書作成のための委任状等の書類を渡し、天満椎茸側が右書類に原告の署名捺印を得て内容白地の状態で原告の印鑑証明書と共に被告に持参したこと、被告は右書類により原告も担保提供を承諾していると考えたこと、右貸金はまもなく天満椎茸が返済したので、被告は担保権の設定は行わずに書類を天満椎茸に返したこと、

次いで、昭和五四年七月初旬に被告は天満椎茸に五〇〇万円を期限一ケ月で貸付けたこと、担保については前回同様の方法で竹口は原告が署名捺印した内容白地の委任状等の書類や印鑑証明書を被告に渡し、被告は原告も担保提供を承諾していると考えたこと、右書類の中に前記甲第八号証、乙第五号証があったこと、なお不動産の権利証については、借入先の明商が保管しているということで竹口は持ってこなかったこと、右貸金は期限に返済されたが、竹口が被告に対し八月末か九月初めにもう一度金を借りたいと言ったので、被告は右書類のうち印鑑証明書を返し、他の書類はそのまま預っていたこと、

(四) 昭和五四年九月一日頃、竹口から被告に天満椎茸の借入の申込があったので、被告は竹口に原告の印鑑証明書を持って来てもらい、やはり原告の承諾を得ていると考え、金額五三五万円、期限同年一〇月三日、金利月六分、担保は本件土地及び天満の土地に貸付金額の三割増程度の根抵当権及び停止条件付賃借権設定並びに原告を連帯保証人として公正証書作成という約定で、前回預っていた書類を使うこととし、被告は同年九月五日に利息、費用を天引した五〇〇万円を天満椎茸に貸渡し、引換に天満椎茸振出の額面五三五万円の約束手形を受取ったこと、

(五) その後、同年九月一七日頃天満椎茸が倒産し、竹口も行方不明になり、被告の貸付金は天満椎茸から回収不能になったこと、被告は天満椎茸から預っていた前記書類の白地欄に必要事項を記入し(乙第二、第五号証)、本件登記手続及び本件公正証書作成を行ったこと、

(六) 原告は、天満椎茸の被告からの借入について、いずれも承諾を与えていなかったこと、

以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

2  右認定事実に照らし竹口の代理行為(抗弁2)について検討するに、昭和五四年九月五日被告は天満椎茸に本件貸付(但し、利息、損害金の約定が多少異る)を行い、その際、竹口を原告の代理人として連帯保証契約及び本件公正証書作成の合意並びに本件土地についての根抵当権及び停止条件付賃借権の設定契約を締結したものと認めることができる。

原告は、竹口は被告との間で何ら法律行為を行っておらず、乙第二、第五号証も被告が記入したものと反論する。しかしながら、竹口と被告との間で担保設定等の合意がなされ、従前預けられていた原告名義の委任状等をそのまま利用する旨了解されて貸付が行われた場合には、右委任状が白紙のままであったとしても特段の事情がない限り、竹口は右貸付の際に原告の代理人として被告との間で前記各契約を締結したものと解するのが相当である。

3  前記1認定事実に照らし竹口の代理権につき考えるに、竹口の前記代理行為につき原告が同人に代理権を与えていたとの点(抗弁3)については、これを認めるに足りる証拠はない。

4  次に、表見代理の成否について検討する。

前記1認定事実によれば、原告は前記委任状(甲第八号証、乙第五号証)に署名捺印して竹口に交付し、また印鑑証明書も竹口に交付して、これらの書類を竹口が被告との前記代理行為に際し利用していたのであるから、原告は竹口に前記代理行為なす権限を授与した旨を表示したもの(民法一〇九条)というべきである。原告は、右各書類は原告が明商への提出書類と誤信して意味内容を理解しないで署名したものと反論する。しかしながら、前記1認定事実によれば、前記書類は、原告が天満の土地を天満椎茸の明商への債務の担保に供することを承諾しその手続のためと考えて署名して竹口に交付したものであり、また甲第八号証、乙第五号証は一見して委任状であることが認識できる書式であるから、原告において、明商に対する担保設定手続について竹口に代理権を授与する意思で署名等を行い竹口に交付したものと推認するのが相当である。そして右書類を竹口が被告からの借入に利用した場合において、原告が被告の存在を認識していなかったとしても、やはり竹口に代理権を授与した旨を表示したものと解することにつき妨げになるものではない。

そこで、竹口の前記代理行為についての被告の帰責事由(再抗弁)について考えるに、前記1認定事実によれば、(1)前記各委任状には原告の署名捺印はあるが、白地のもので、しかも従前の取引の際に被告が預っていたものをそのまま利用していること、(2)竹口は本件土地の権利証を所持していなかったこと、(3)本件貸付で原告の連帯保証や根抵当権設定による経済的利益が専ら借主でもある代理人の竹口に属すること、(4)原告に対する直接の意思確認がなされた形跡がないこと(被告の供述中には、従業員の速見が原告に確認した旨の部分があるが、右供述は伝聞であり、また原告本人に直接確認したものか否か定かではなく、にわかに措信し難い)等の事情が認められ、これらの事情を勘案すれば、金融業を営む被告として、本件貸付の際に竹口の前記代理行為につき代理権ありと信ずるについて過失があったものと評価せざるを得ない。

そうすると、民法一〇九条の表見代理は成立する余地がないというべきである。

また、民法一一〇条の表見代理あるいはその類推適用についても、右(1)ないし(4)の事情からすると、同条にいう正当な理由ありとは到底認めることができず、その余の点を判断するまでもなく、表見代理の成立を認定することはできない。

三  以上の事実によれば、本件登記手続及び本件公正証書作成はいずれも原告の意思に基づかないものであり、かつ原告に効力の及ぶものではないから、本件登記の抹消登記手続及び本件公正証書の執行力の排除を求める原告の本訴請求はいずれも理由があり、これを認容すべきである。

第二反訴について

一  主位的請求について

本訴についての判断で説示したとおり、被告と天満椎茸との間の本件貸付の際、竹口は原告を代理して被告と連帯保証契約を締結する権限を有しておらず、かつ被告主張の表見代理も成立する余地はないのであるから、被告の請求は理由がない。

二  予備的請求について

1  原告が自己の名を署名捺印した内容白地の委任状(甲第八号証、乙第五号証)及び印鑑証明書を竹口に交付したことは、当事者間に争いがない。前記第一の二認定事実によれば、竹口が明商との取引に必要であるとして原告から預った右書類を原告の意思に反して濫用して、権限がないのに原告の代理権があるように装い被告に右書類を交付し、これを信用した被告との間で連帯保証契約、根抵当権設定契約等を結んだうえ、貸付金として被告から五〇〇万円を受領したこと、その後天満椎茸は倒産して竹口は行方不明となって、右貸付金の回収が不能となり被告が右同額の損害を被ったこと、以上の各事実が認められる。

2  ところで、自己名義の白紙委任状及び印鑑証明書を他人に預け、その者が委託の趣旨に反しこれを他の取引に濫用するなどして、取引の相手方が右委任状の内容が真正なものと誤信し、その結果損害を受けた場合、一般的には、委任状の名義人は被害を受けた相手方に対し直ちに不法行為責任を負うものではないと解するのが相当である。けだし、通常の社会生活上の取引で白紙委任状及び印鑑証明書の交付が度々なされ、それが一定の役割を果たしていることは公知の事実であって、そのような状況に照らすと、濫用の危険性が一般的に存在するからといって白紙委任状及び印鑑証明書の交付自体が注意義務に違反するものと言い切ることは難しいというべきである。なお、被告は、市町村の印鑑登録証明事務を例に挙げて、担当職員に注意義務違反があり印鑑証明書が悪用された場合に損害賠償責任が発生すると主張するが、印鑑登録証明事務については、偽造印による申請とか申請人の資格を偽る場合のように、そもそも印鑑証明書の交付手続自体が問題とされるのであって、本件とは場面が異る。

しかしながら、本件においては、前記第一の二認定のとおり、原告が署名捺印して竹口に交付した書類及び印鑑証明書は明商(東京都中央区所在)との椎茸の商取引の担保提供のためということであり、被担保債権は売買取引、手形債権、小切手債権であったところ、その内で竹口が被告との取引に使用した委任状(甲第八号証)は、その印刷書式をみると、「債権者」「債権金額」「貸付年月日」「元金弁済期」「利息」等の欄があり、「一定ノ金銭債務ニ付直チニ強制執行認諾ノ条件ヲ加ヘ公証人役場ニ出頭シ公正証書作成方嘱託スル事」の文言があり、末尾欄外に「社団法人大阪府庶民金融業協会」と記載されており、以上の記載事項は、特に慎重な注意を払わなくとも(「社団法人大阪府庶民金融業協会」は小さな字体であるが、当事者の署名欄のすぐ左の目につきやすい位置にある)通常の注意で理解できるものである。以上の記載書式からすると、甲第八号証は、通常大阪府の庶民金融業者が金銭貸付についての公正証書作成の委任状に使用する書式と見るのが自然であり、前記明商との取引内容とは相当異っており、書式自体から明商以外の他の取引に利用される具体的な可能性がうかがわれるものである。従って、通常の注意を払えば、右甲第八号証に署名捺印し竹口に交付するに際し、右の相異点に気付き、右書面の使途に疑問を持つことは十分可能であったといわなければならない。そうすると、原告は右甲第八号証に署名捺印しこれを竹口に交付するに際し、右書面は白地のままでは他の目的に濫用され第三者に被害を及ぼす具体的な可能性があったのであるから、これが濫用されないような方法をとるべき注意義務があったのにかかわらず、明商との取引に必要だという竹口の説明を軽信し、これに署名捺印して内容白地のままで竹口に交付し、さらに印鑑証明書も交付したものであり、注意義務違反ありといわざるを得ない。

そして、原告の右注意義務違反により竹口に交付された甲第八号証及び印鑑証明書を竹口が被告との取引に使用し、被告は原告の連帯保証及び担保提供が得られるものと誤信して本件貸付を行い被害を受けたものであるから、原告は不法行為者として被告の被った損害を賠償すべきである。

3  なお、本件のようないわゆる取引的不法行為において、相手方に故意又は重過失、即ち故意に準ずる程度の注意の欠缺があった場合には賠償責任はないものと解されているところ、前記第一の二の4認定の各事情に照らせば、被告に過失があったことは認められるものの、右過失の程度は重過失と評価すべきほどのものとは言い難く、その他被告に故意又は重過失があったものと認めるに足りる証拠はない。従って、故意又は重過失についての原告の主張(抗弁2)は理由がない。

4  そこで、原告の賠償すべき金額について考えるに、本件貸付に際し被告に過失があったと認められることは前記のとおりであり、これらの過失の態様等諸般の事情を勘案すると、被告の受けた損害額から過失相殺としてその六割五分を減ずるのが相当であり、そうすると、原告の賠償すべき損害額は一七五万円となり、被告の反訴請求は右一七五万円及びこれに対する損害発生の後である昭和五四年一〇月四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

第三結論

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、なお反訴請求の仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 三輪佳久)

〈以下省略〉

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